プロフィール

(今はショートカットです。撮影当時、ヘアドネーションのために小学生ぶりにロングヘアーにしていました)

スギモトアイ
Ai Sugimoto
(よく呼ばれるあだ名は、おすぎさん(osugisan)です。)

生年月日:1988/11/12
神奈川県逗子市生まれ、神奈川県横須賀市育ち。神奈川県川崎市に在住。

プロフィール概要

2012年:北里大学理学部を卒業 (専攻:物理学)
2014年:北里大学大学院医療系研究科にて修士課程修了 (専攻:医科学)
2014年4月〜2015年12月:医薬品企業にて臨床検査薬の学術を担当(1.8年)
2015年12月〜現在:Web媒体を中心としたフリーライターとして活動
2015年8月〜2020年3月:創薬ベンチャー株式会社RESVOに創業メンバーとして参画し、広報・マーケティング担当として活動(4.8年)
2016年4月〜2018年11月:特許庁にて非常勤職員として勤務(2.8年)
※本ページラストに自分史(雑談多め)を掲載してます。ご興味ありましたら、併せてご覧ください。

これまでのお取引先(五十音順・敬称略)

アン・コンサルティング、カシオヒューマンシステムズ、ウルトラ、エムスリーキャリア、エンファクトリー、KADOKAWA Connected、キャリアデザインセンター、クレディセゾン、コラボメーカー、電通、J・Grip、ビズリーチ、ハレガケ、ファミワン、POL、ナイル、ユーザベース、有限会社ノオト、ライオン、LIFULL、リブセンス、Lexi、RESVO、ワンキャリア 他

Media ・ Event

スギモトアイの働き方について、インタビューを掲載いただきました。

兼業・副業などの働き方をテーマとしたイベントに登壇、パネリストとして参加しました。

スギモトアイの働き方や考え方についてのインタビュー、コラム執筆ご依頼等、お待ちしております。

自分史(雑談多め・興味のある方のみどうぞ)

1988神奈川県逗子市に生まれる。11月12日生まれ。「誰からも愛される子になってほしい」という両親の思いから愛と名付けられる。母はわたしを鎌倉生まれにするため、鎌倉の産婦人科へ通うが、出産直前に先生が廃業したため、急遽近所の産婦人科へ通い直した
1990神奈川県横須賀市へ引越すこの頃から生活に海があることが当たり前になる。
2008北里大学理学部物理学科へ入学。物理学を中心に化学、生物学など科学の基礎を学ぶ。後半は統計物理を専攻しており、今でも数字やテクノロジーに触れるのは好き。
(学問より、生き方の基礎を身につけた学生生活だったと思います)
2012北里大学大学院医療系研究科修士課程にて、医科学を専攻実験全般は苦手でした(笑)
2013学部時代の先輩2名と、創薬ベンチャーRESVO(レスボ)の前進となる勉強会をスタート
2014医薬品メーカーである和光純薬工業(現 富士フイルム和光純薬)にて臨床検査薬事業部の学術として就職。医療関係者向けに免疫領域の商材担当として、医療機器・検査用試薬の顧客対応を行う。
2014最初の配属先が研究所@兵庫県尼崎市だったので、初の関西生活。1を言うと、3リアクションが返ってくる環境が楽しく、水があってるなと思った。トライアスロンにもチャレンジ。大会会場へ向かう途中、六甲山脈を自転車で登ったのはいい思い出。それ以来、山を走る時は標高は必ずチェックしている。同期から、「スギモトは遊びのことしか考えてない」と言われる(笑)
2014株式会社RESVOに広報・マーケティングとして、関わり始める。最初、株で運転資金を集めようという話になり、全員で株式投資を勉強した。
2014お盆休みに香川〜愛媛〜しまなみ海道を一人でロードバイクで走る。瀬戸内の気候は体に合っており、将来住むなら…とか考えながら走った。
2015東京の本店へ配属。職場環境がちょっと体に合わず、適応障害に。いろいろと嫌になって頭痛薬を30錠ほど一気飲みしたらお医者さんから「それ、消極的な自殺っていうんだよ」と呆れられ、仕事休んだ方がいいよと診断書をもらう。休職期間(半年)を経て、退職。在職期間は1年9ヶ月ほど。休職期間中に、引きこもりを経験。なお退職は、大学時代の先輩に退職代行を依頼し、各種手続きを代わりに進めてもらう。
2015年末に実家のある横須賀が主催した横須賀市新しい働き方セミナーがきっかけで、フリーランスに興味を持つ。なれるかなよりも「やってみたい」が先に来たのは、今でも覚えている。
2016同年1月から試しにフリーランスとして働き始める。2カ月働き、いきなり専業はきついと実感し、兼業の道を模索する。
2016RESVO業務の一環として、毒物劇物取扱者の取得を目指し勉強する。国家試験である同試験を受けるため、山梨へ。季節外れの受験だったため、関東では山梨しか試験場がなかった。試験には無事に合格。なおこの資格を有していると、毒物劇物取扱責任者にもなれる。
2016初インタビュー取材は、定食屋でインタビュー対象者と複数の関係者に囲まれながら1人で行なった。今となっては笑い話だが、緊張のあまり声が出なくなり、関係者から注意を受けた。「インタビューってハードル高いな」と感じつつ、帰り道にインタビュイーの先生から「気にせず、これからでしょ」と慰められながら帰る。今振り返れば、内容はともかく、初心者の環境としてはかなりハードルが高い現場だったと、2年後ぐらいに気がつく。1年ぐらい仕事としては引き受けなくなるが、その間にベンチャー企業の取材アシスタントとして同行し、進め方等を学ぶ。
2016同年4月、特許庁商標化品質管理班にて非常勤職員として採用(だいたい週4勤務)。審査補助、ユーザー対応、ときどき採用関係の補助やクレーム対応を行う。いわゆる、みなし公務員。兼業申請制度を利用し、職場に認めてもらった状態で、ライター業を行う。今思えば、同制度は農家の人などを想定した内容だったと退職後に知る。新卒時代のトラウマがあり、「働くこと」に抵抗があったけど、次第に働きながら社会復帰を果たす。「怒鳴っている人が職場に居ないんですね」と話したところ、最初の上司である65歳のおばあちゃんが目を丸くしながら「あんたどんな会社から来たの」って驚いてた。この頃から、年上にタメ語で話し始める。
2016兼業初年度ということもあり、音源からのインタビュー記事執筆、SEO記事の執筆を中心に行う。仕事をする場合には、必ず兼業であることを話し、各クライアントには了承を取っていた。
2017フリーランス、ベンチャーどちらに対しても中だるみしている時期だったが、DeNAのWelq問題をきっかけに、これまで医療系中心だった執筆領域をビジネスやITなどに広げ、可能性と領域を積極的に模索し始める。
20178月27日に横須賀市にて主催・開催された、「初めてのクラウドソーシングセミナー」に登壇。自身のこの1年について100名近くのゲストの前でプレゼンし、後半はパネルディスカッションに参加した。横須賀に対し、何らかの貢献をしたいと思っていたので、その願いが叶った瞬間だった。
2017いつまでもインタビューに対するトラウマを引きずっていては&週4勤務ということもあり、時間を調整し、取材記事も2カ月に一度ぐらいのペースで受け始める。あと、興味のある企業やサイトに、実績を持って営業し始めたのもこのころから
2018同年11月、ベンチャーとフリーランスの2軸で攻めるために、特許庁を退職。2年7カ月勤務。同僚や上司がわたしの働き方を面白がってくれたので、終始働きやすい職場でした。感謝しかない。2年経てば、苦手だった電話対応もクレーム対応もできるようになると学ぶ。クレームでも一般的な問い合わせでも柳原可奈子のショップ店員モノマネと関西のスナックのママをハイブリッドしたタメ口芸風で挑むものだから、同僚からは「友達と話してるの?」と1日一回は突っ込まれた。なお、タメ口に対する顧客クレームは一度もなかった。
2018〜2019RESVO(レスボ)の方で、東京・島根と精力的に展示会へ参加。展示ブースのデザインや各種資料作成をはじめ、当日は展示員として製品説明からユーザーフォローまでを行う。島根県益田市で行われた超異分野学会益田フォーラム2018では製品プレゼンを担当し、オーディエンス賞を獲得。
2019SEO記事から、インタビュー記事へ少しずつシフト。インタビュアーとして取材に望む機会も増える。このころから、編集に携わる機会も少しずつ出てくる。フリーランスで働き始めた当初は、一人で働くことに重きを置いていたが、このころから編集者さんとタッグを組んだり、チームで働くことに楽しみを覚えるようになる。
2019神奈川県で実施された製品展示会にて、150名近い人の前でプレゼンを担当。2日前からCEOの小林さん(当時)と練習し、どうにか無事に乗り切る。「君の話だけはちゃんとしたプレゼンだった」と講評で言われたらしいが、緊張のあまり覚えてない。
20195月下旬、当時地域で起こっていた不法侵入者に遭遇。この事件をきっかけに、自宅を働く場所にするフリーランスが抱える防犯面の問題や課題に意識を向けるようになる。また、引越し先の決まる1カ月ほど、ホテルや友人の家を転々として過ごしていた経験から、何があっても身軽に動けるようにと「ミニマリスト」へライフスタイルをシフトしていく。同時に理不尽なことは、すべからくやってくるのでどのように受け止めるかの方が重要という心持ちになる。また、「被害者が笑顔で元気に振舞ってはいけない」という風潮に一瞬押され気味になるが、6月下旬にハワイへ一人旅行にいく予定だったため、「わたしがハワイにいくことを目に見えない圧力に邪魔されてたまるか」という強い意思を持って立ち向かった。それだけ、どうにかしてハワイへ行きたかった。
2019〜2020取材やコラム執筆を引き受ける中で、「企画」にも挑戦するようになる。初めての長期企画は、学生時代の原体験から企画へ結びつけた、2019年10月〜11月に公開された「理系異端児のキャリア論」(掲載:ワンキャリア)。SNS上で、#辞め商 というハッシュタグが元商社人の間でプチヒットしたのは、翌年2月に公開された「商社を喰うか喰われるか」(掲載:ワンキャリア)。こちらは2019年11月から準備を進めていた。企画立ての段階からご協力いただいた同社編集部の編集者さんをはじめ、掲載に向けたタイトなスケジュールに対応してくれたアシスタントさん、デザイナーさん、そしてライターさん、インタビュイーの皆さんのおかげでこの2特集が完成までたどり着けました。
2020RESVOの方が事業転換するタイミングを受け、3月末を持って離れることを決意。これまで業務委託で関わり続けたため、退職ではなく、離れるという表現を使用している。紆余曲折、いろいろなことがあったけど、楽しい8年間でした。
2020兼業から専業のフリーランスライター・広報となり、活動を継続。年明けから、コピーライティングやブランディングなど、少しずつ活動の幅を広げている。今後は、事業開発の領域に踏み込んでいくことを目指す。
スギモトアイのキャリアプロフィール(雑談多め)

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